多津衛民芸館の願い


多津衛民芸館

(1995~ )

 

小林多津衛

(1896~2001)

 

1999(平成11)年8月 103歳を祝う会で記念植樹のあと撮影。百歳から毎年多津衛民芸館の庭に桜を記念植樹し、104歳ご逝去までに5本植えることができた。

 

 


小林多津衛と多津衛民芸館の願い


 

 自己を生かす教育

 武者小路実篤の言葉「君は君なり我は我なり されど仲よき」。絵の好きな子どもも居れば、スポーツに長けた子どもも居る。その個性を伸ばし、個性が違うからこそ仲よくなって、お互いを補い合い学びあうことが出来る。これは大人の社会も同じだ。違う意見に耳を傾け、尊重し合うところに民主主義がある。国際社会も同じかもしれない。違う文化や宗教、社会状況を認め合い、助け合い、尊敬し合うところに「平和」がある。

 

 暮らしの中に「美」を生かす

 私たちが日常に使うもの、茶碗・箸・皿などの食器、着る物など生活の道具にはできるだけ美しいものを用いる。美しいものを使っていると気持ちが落ち着き、心が豊かになる。そして、使っている食器などに愛情がわき、物を大切にするようになる。「民藝の品々」が心を豊かにし、暮らしを美しくするのである。子どもの頃からこれを実感してほしいと思う。

 

 手仕事の大切さ

 日本の江戸時代は、陶磁器、金箔、漆塗りなど、世界に誇る職人の技術が高度に発達した時代である。そしてそれは、多くが手仕事であった。絵師は皿の絵を1日に300枚も500枚も描いたという。

 機械文明が発達した今、人間の熟達した技術は後退し、地域の特色ある製品が失われ、画一化し、スピードばかりがもてはやされる時代となり、大量生産大量廃棄の時代を迎え、地球環境が問われることになった。もう一度、手仕事を見直すことが現代の課題ではないか。モノの画一化はヒトの画一化を生み、異文化共生を否定するファシズムにつながっていく。

 使い捨てのコップ・皿などによる大量廃棄は環境を破壊し、やがて非正規雇用などヒトの使い捨てにつながる。

 

 他人(ひと)がうれしい時、自分もうれしいという労働の契機

 自分が働くのは賃金を得て自分の暮らしを支えるためだが、同時に、自分の労働で他人が喜んでくれた時、自分も幸せな気分になる。本来の仕事にはそういう要素がある。職人や農民の誇りと矜持。laborからworkへ。

 

 平和への願い

 隣国の文化への尊敬が、「平和への願い」の基礎である。(多津衛の言葉)。民藝の世界では、沖縄や東北、アイヌが持つ高い文化に注目し、朝鮮の陶磁器や木工品をこよなく愛した。戦争は始まる前に必ず相手国への蔑視が喧伝される。前の戦争では鬼畜米英といい、中国や朝鮮にも蔑称があった。そして今、ヘイトスピーチ、週刊誌などの嫌韓嫌中。戦争前夜を思わせる。世界の国々や民族、また国内のさまざまな地域が持つ固有の文化を認め合い、尊敬しあう社会をめざしたい。「憲法は大丈夫かや」晩年多津衛先生の言い続けた言葉が、今改めて聞こえてくる。

    

1976年4月 地元の女性たちと染の講習会

 

1996年8月 多津衛先生の百歳を祝う会。

 


小林多津衛は「赤十字国家」を提唱した。

 赤十字の創始者アンリー・デュナンが1862年に出版した『ソルフェリーノの思い出』。「人間はとうとう、お互いが嫌ってもいないのに殺し合うようになってしまい、互いに殺し合うことを栄光の極みであり、あらゆる技能の中で最も立派なものとまで思うようになってしまった」「一般の兵士は何のために、だれを相手に殺し合うのか、わかりもしないで、今まで人ひとり殺したことのないものが、殺そうと思ったこともない若者一人一人が、たちまちプロの殺し屋にさせられる戦争の無知と破壊と盲目の愛国的共謀」。1864年デュナンの提案が結実し、世界最初の国際人道法「ジュネーヴ条約」が調印された。

 日本が赤十字精神の実践を国是とし、人を殺す軍隊の増強でなく、(世界に善意の貢献をして)人を生かす道で日本の安全を確保する道が開ければ、世界連邦のような世界組織の道が開け、恒久平和の実現に近づくことができる。

 

(小林多津衛の本編集委員会『平和と手仕事』の中の「赤十字国家の提唱」より)